浅草散策コース
7 浅草迷子しらせ石標

浅草寺本堂の手前、向かって左側に立っている石標です。正面に「南無大慈悲観世音菩薩まよひこのしるべ」と記されており、江戸時代に迷子の情報を交換するために用いられていました。
右側面には「しらする方」と刻まれていて、預かっている迷子や訪ね人の情報を書いた紙をここに貼り付けておきます。左側面には「たずぬる方」と刻まれていて、探している迷子や尋ね人の人相や特徴などを書いた紙をここに貼り付けておきます。江戸の人々は、この張り紙を見て迷子や尋ね人を探しました。
もとは、安政2年(1855)10月2日夜10時頃に発生した安政の大地震における遊郭での死者を弔って、新吉原の楼主・松田屋嘉兵衛が安政7年3月に建てたものです。マグニチュード6.9と推定される直下型の大地震及びそれに伴う火災によって、吉原での死傷者は1000人とも言われています。
江戸時代には仁王門(現在の宝蔵門)の前にありましたが、第二次世界大戦の際に倒壊してしまい、台石の一部だけを残すのみとなってしまいました。現存する石標は、昭和32年に復元されたものです。
都内では、一石橋(中央区)にも同様の迷子しらせ石標が残されています。また、宮部みゆき『幻色江戸ごよみ』「まひごのしらべ」には浅草のものではありませんが、迷子しらせ石が登場します。
浅草寺の公開情報
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