千駄木谷中界隈散策コース(文京区・台東区・荒川区)
天王寺五重塔跡
都指定史跡 昭和54年3月31日旧跡指定 平成4年3月30日種別変更
焼失前の天王寺五重塔全景
幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとして知られる谷中の五重塔は、天台宗の寺院護国山尊重院天王寺の境内(現在の谷中霊園内)に立っていました。天王寺は、もとは日蓮宗で長燿山感應寺尊重院と称し、道灌山の関小次郎長耀と日蓮とのゆかりによって建立された古刹です。元禄12年(1699)幕命により天台宗に改宗し、その後天保4年(1833)に現在の護国山天王寺と改称しました。
最初の五重塔は、寛永21年(正保元年(1644))に建立されましたが、130年ほど後の明和9年(安永元年(1772))目黒行人坂の大火で焼失しました。罹災から19年後の寛政3年(1791)に再建された五重塔は、震災・戦災をくぐり抜け、長く谷中のランドマークになっていました。『五重塔』のモデルになったのもこの塔ですが、昭和32年(1957)7月6日、残念ながら放火により焼失し、現在はその基礎部分のみが残されています。
焼失前の塔は総欅造りで、高さ11丈2尺8寸(34.18m)。関東で一番高い塔でした。幸い建築家大島盈株による明治3年(1870)の実測図が残っており、
往時のその姿を知ることができます。
「現存する方3尺(約90㎝四方)の中心礎石や四本柱礎石など総数49個の石材はすべて花崗岩です。中心礎石から金銅舎利容器や銅経筒、四本柱礎石と外陣四隅柱からは銅経筒などが発見されています。
天王寺五重塔跡の公開情報
- 公開日:
- 通年
- 公開時間 :
- 終日
- 料金 :
- なし