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文化財めぐりコース

白金高輪散策コース

11 元和(げんな)キリシタン遺跡

都指定旧跡 指定:昭和34年2月21日
写真

元和キリシタン遺跡

 江戸時代初め、キリスト教は全国的に布教されていましたが、幕府は天下統一に差し障りがあると考え、慶長17年(1612)に禁教令を発しました。これにより、信徒の逮捕が行われ、長崎や京都で信仰を捨てなかった信徒の処刑が行われました。しかし、逮捕を逃れた信徒は、隠れて信仰を続けていました。

 江戸でも元和9年(1623)12月、キリシタン50人が処刑されました。処刑された中には、原主水(はらもんど)やデ・アンジェリス神父、ガルベス神父がいました。原主水は家康の小姓でしたが、駿府城を追放され、江戸市中に潜伏していたところを捕えられました。

 後に、処刑場だったことから空地となっていた場所に、慰霊のために智福寺が建てられました。智福寺を開山した一空上人の伝記や、処刑場は「東海道の入口にある丘」であったというパジェスの記述、江戸時代の切絵図や地形から、この地付近が処刑場だったと推測されています。


元和キリシタン遺跡の公開情報

公開日 :
通年
公開時間 :
終日
料金 :
なし