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文化財めぐりコース

白金高輪散策コース

7 大石良雄(ほか)十六人忠烈の跡

都指定旧跡 標識:大正7年4月 旧跡指定:昭和30年3月28日
写真

大石良雄外十六人忠烈の跡

 都内には忠臣蔵で有名な赤穂事件にまつわる旧跡がいくつかありますが、この旧跡もその中の一つです。赤穂浪士の中で、大石内蔵助良雄を含む17名が切腹をした場所と伝えられています。

 元禄14年(1701)の江戸城松之廊下の刃傷事件に端を発した赤穂事件は、翌15年12月、吉良邸討ち入りという事件に発展します。吉良上野介を討ち取った大石内蔵助一行46名(四十七士のひとり寺坂吉衛門は、途中で姿を消しています。)は、泉岳寺にある主君浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供えた後、幕府の命により細川家を含む4家にそれぞれ預けられました。大石内蔵助ら17名を預かった細川家は、高輪の下屋敷にて彼らを丁重に扱ったと記録に残されています。元禄16年(1703)2月4日、幕府の命が下り、同日中に全員が預けられた先で切腹をしました。切腹の後、46人の遺骸は主君と同じ泉岳寺に送られ、埋葬されました。

 大石内蔵助らが切腹をしたかつての広大な細川家高輪下屋敷の敷地は、現在、高松中学校などになっていますが、細川家の屋敷跡の一部が塀に囲まれて残されており、往時をしのばせます。


大石良雄外十六人忠烈の跡の公開情報

公開日 :
通年
公開時間 :
終日
料金 :
なし

※中には入れません。