東村山市散策コース(北多摩を歩いてみませんか)
板碑〈元弘三年斎藤盛貞等戦死供養碑〉
重要文化財(古文書) 大正3年8月25日指定
板碑とは鎌倉時代から戦国時代にかけて建てられた板石の供養塔婆です。この板碑はかつて八国山に建てられていたもので、上部に光明真言の種子を刻み、中央に「元弘三年癸酉五月十五日敬白」の紀年銘、左右に「飽間斎藤三郎藤原盛貞、生年二十六、武州府中に於いて五月十五日打死せしむ」、「同孫七家行、二十三、同じく死す。飽間孫三郎宗長、三十五、相州村岡に於いて十八日に討死」と被供養者の氏名・享年・戦没場所と日付を示しています。さらに下方には「勧進 玖阿弥陀仏、執筆 遍阿弥陀仏」と建立者である時宗の僧の名が記されており、元弘3 年(1333)の新田義貞の鎌倉攻めの際に戦死した飽間斎藤一族3名の菩提を弔うために建立されたものであることが分かります。
板碑〈元弘三年斎藤盛貞等戦死供養碑〉
元弘3年5月8日、後醍醐天皇の勅命を受けて新田庄
生品明神(現・群馬県太田市)で鎌倉幕府討幕の兵を挙げた新田義貞は、鎌倉街道を南下して小手指ヶ原・久米川・分倍河原・関戸の合戦を経て鎌倉に侵攻、5月22日に幕府を滅亡させました。鎌倉街道の沿道には戦死者を弔う板碑や供養塔が数多く残されていますが、この板碑のように戦没日や場所まで記したものは珍しく、『太平記』巻十に伝える5月15日の分倍河原合戦をはじめとする新田軍の鎌倉総攻撃を史実として裏付ける貴重な資料です。
久米川古戦場の公開情報
- 公開日 :
- 通年(月曜を除く。)
- 公開時間 :
- 9:00 ~ 17:00
- 料金 :
- 200円