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文化財めぐりコース

東村山市散策コース(北多摩を歩いてみませんか)

久米川古戦場

都指定旧跡 大正8年10月標識 昭和27年4月1日史跡指定 昭和30年3月28日旧跡指定

久米川古戦場跡の写真

久米川古戦場跡

 狭山丘陵東麓(現在の八国山緑地)から柳瀬川にかけて広がる一帯は、古代に武蔵国府と上野国府を結ぶ東山道武蔵路が通り、鎌倉時代には鎌倉から上野国に向かう鎌倉街道が南北に縦断する交通の要衝でした。やがて戦乱の時代になると、久米川の地は入間川と多摩川の中間の軍事的な拠点として重視され、元弘3年(1333)に、新田義貞が鎌倉幕府倒幕のために挙兵し戦った〝久米川合戦″、建武2年(1335)に北条時行が鎌倉幕府再興のために挙兵した〝中先代の乱″や文和元年(1352)に足利尊氏ら北朝方と新田義興ら南朝方の軍勢による〝武蔵野合戦″、応永24年(1417)には〝上杉禅秀の乱″などの合戦の舞台となりました。特に有名な戦は元弘3年の〝久米川合戦″です。新田義貞の挙兵に対し、幕府軍は鎌倉街道を北上、小手指ヶ原(所沢市)で一戦交えた後に久米川へと戦場を移しました。新田義貞は久米川の戦いで勝利をおさめた数日後に、鎌倉幕府を倒しました。久米川の戦いの拠点となった八国山緑地には、新田義貞が兵馬を指揮したと伝えられる「将軍塚」があります。


久米川古戦場の公開情報

公開日 :
通年
公開時間 :
終日
料金 :
なし