日野散策コース(新選組ゆかりの地を歩いてみませんか)
9 高幡不動尊金剛寺

土方歳三の像
高幡山金剛寺(通称、高幡不動尊)は、関東三大不動の一つと称され、土方歳三の菩提寺としても知られています。寺には歳三と近藤勇の碑、歳三の位牌や書簡等、多くの新選組資料があります。
金剛寺は、大宝年間(701-04)以前の創建とも、慈覚大師(794-864)によって創立されたとも伝えられる
また、ここで紹介するもののほか、金剛寺には「

金剛寺不動堂
写真提供:(公財)文化財建造物保存技術協会
金剛寺不動堂
重要文化財(建造物) 指定:昭和21年11月29日
不動堂は桁行・梁間とも5間の大規模なものです。本尊不動明王像の光背の刻銘等から、元は山中にあったのが大風で倒壊し、康永元年(1342)に現在地に再建されたと考えられています。そのため康永以前の古材が再用されている可能性も否定できません。今も護摩修行の炎が上がる堂内は黒々とし、壁に囲まれた閉鎖的な空間は、中世密教系本堂の姿を今に伝えます。屋根の強い反りと深い軒も特徴の一つです。

金剛寺仁王門
写真提供:(公財)文化財建造物保存技術協会
金剛寺仁王門
重要文化財(建造物) 指定:昭和21年11月29日
仁王門は3間1戸楼門の形式で室町後期の建立、仁王像も室町時代の作と伝えられています。江戸時代には平屋建ての

木造不動明王及二童子像
木造不動明王及二童子像
重要文化財(彫刻) 指定:平成6年6月28日
金剛寺の奥殿に安置されている丈六の不動明王坐像を中心として、左の
いずれも平安時代後期の制作と考えられ、不動明王の光背には南北朝期に大風により破損し修復された記録が刻まれています。

金剛寺旧五部権現社殿
金剛寺旧五部権現社殿
都指定有形文化財(建造物) 指定:昭和35年2月13日
『新編武蔵風土記稿』にも書かれている金剛寺の鎮守社で、境内の奥まったところにあります。寺伝によると源頼義が奥州反乱鎮圧に際し八幡社を勧請し、後に稲荷・丹生・高野・清龍権現を合祀し五部権現と称したといいます。社殿に安置されていた5基の神牌には本地仏の
現社殿は、棟札から暦応3年(1340)創建、寛文11年(1671)再建と分かる、江戸時代前期の社殿として例も少なく貴重なものです。建物の規模は、桁行1.52m 梁間1.30m、向拝付きの一間社流造りで、屋根は銅板葺です。全体は朱漆塗りで、彫り物の刻線には墨を差し、

絹本着色弁才天十五童子像
絹本着色弁才天十五童子像
都指定有形文化財(絵画) 指定:昭和63年2月22日
弁才天は川の神として水辺に祀られ、七福神の一つとして広く信仰されています。本作品は縦92.5cm、横37.2cm で、軸装されています。室町時代の制作と推定されていますが、作者は不明です。
弁才天を中心に、左右に童子形の15尊が、下方中央に頭巾を被り口ひげを蓄えた大黒天と思われる1尊が描かれています。弁才天十五童子像に大黒天が描かれた例としては稀少な作品で、七福神信仰の原型を示す作品として注目されています。

高幡山金剛寺文書
高幡山金剛寺文書
都指定有形文化財(古文書) 指定:平成12年3月6日
寺に伝来する文書群で、中世から現代に至る4,110点の史料です。金剛寺の由緒や寺歴が記された「高幡山不動尊縁起」のほか、桜田門外の変を始め幕末期の社会情勢や金剛寺周辺地域の動向を知ることができる史料等が含まれています。
特に江戸時代前期から昭和戦前期までの史料がまとまって現存しており、金剛寺を巡る歴史的動向や地域社会との関わりを知る上で貴重な史料です。

殉節両雄の碑
日野市指定史跡 指定:昭和36年10月1日
近藤勇と土方歳三を顕彰する石碑です。日野の佐藤俊正(彦五郎)を始めとする両名の支援者・近親者を中心に、明治9年(1876)から建立の準備を進めましたが、神奈川県令の許可が下りず、明治21年(1888)にようやく建立されました。石碑には両雄の事績が漢文で書かれており、
高幡不動尊金剛寺の公開情報
- 公開日 :
- 通年
- 公開時間 :
- 9:00~17:00
- 料金 :
- なし