日野散策コース(新選組ゆかりの地を歩いてみませんか)
日野と新選組

土方歳三(写真提供: 国立国会図書館)
新選組の副長土方歳三と六番隊組長の井上源三郎は、現在の日野市に生まれ育ちました。
土方歳三は、武蔵国石田村(日野市石田)の“
井上源三郎は日野宿北原(日野市日野本町)の八王子千人同心の家に生まれ、千人同心を継いだ兄の松五郎と共に早くから天然理心流に入門しました。井上家と親戚関係にある沖田総司も、日野宿で過ごした時期があったとされます。
甲州道中日野宿は江戸日本橋から約10里(39.3km)の距離にあります。宿場の周囲には稲作地帯が広がり、経済的に豊かでした。この一帯は幕府領や旗本領であるため親幕的な気風があり、八王子千人同心の影響もあって剣術が盛んでした。
日野宿の問屋(宿場の責任者)を務め、日野本郷の名主でもあった佐藤彦五郎は、幕末期の治安悪化の中、天然理心流に入門し自宅に剣術道場を開きました。彦五郎の道場には、江戸の道場から近藤勇や沖田総司らが出稽古に訪れ、後に新選組を結成する剣士たちの交流は、ここから始まりました。日野宿は新選組のふるさとと言えます。
また、日野を始めとする多摩地区の豪農たちは、新選組の活動を物心両面から支えました。上洛当初、近藤勇たちへの会津藩からの手当はなく、彼らの活動は日野宿の佐藤彦五郎や、小野路(町田市)の小島鹿之助などからの支援によって続けられました。
新選組は京都で華々しい活躍を続けましたが、彼らにゆかりの書状や遺品などは、その多くが多摩地区に残されています。これは、新選組の隊士たちが多摩地域の支援者に書状を
日野市を始めとした多摩地域は、新選組隊士たちの息づかいが伝わる資料や、ゆかりの場所が多く残る、新選組のふるさとです。

1 八坂神社

八坂神社
日野宿(日野本郷)の総鎮守で、牛頭天王社とも呼ばれました。寛政12年(1800)に再建された本殿は、棟高9.1mの総
八坂神社には嶋崎(近藤)勇、沖田惣次郎(総司)のほか、佐藤彦五郎や井上松五郎・源三郎など日野宿の天然理心流門人23 人が安政5 年(1858)に奉納した額が残されています。
本殿及び奉納額は、5月の「新選組まつり」と9月の例大祭の際に公開されています。
八坂神社の公開情報
- 公開日 :
- 通年
- 公開時間 :
- 終日
- 料金 :
- なし