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文化財めぐりコース

皇居散策コース

旧江戸城を紹介する資料

甲良家の図面で江戸城を歩く

東京都立中央図書館特別文庫室

 東京都立中央図書館特別文庫室では、代々江戸幕府作事方の大棟梁(大工の棟梁を束ねる役職)の役職にあった甲良家に伝わる資料を多数所蔵しています。そのうち、「江戸城造営関係資料」646 点は、国の重要文化財に指定されています。

 江戸幕府の作事方とは、江戸幕府の建築部門を司る役所で、江戸城に関しては本丸と西丸の表と中奥、つまり大奥との境までの建築を担当する部署でした。そのため、都立中央図書館で所蔵する造営関係資料も、江戸城の中枢・本丸御殿と世継ぎや大御所が暮らす西丸御殿の表と中奥の図面が大半です。また、作図年代も、再三火災で焼失した江戸城の最後の本丸御殿となった万延元年(1860)再建の建築図面が大半を占めています。

 ここでは、それら甲良家の図面の中から江戸城のイメージ作りに役立ちそうな図面を3点御紹介します。

1. 江戸御城之絵図

 吹上を除く江戸城内郭のほぼ全域が描かれています。本丸・二丸・三丸の地域は今の東御苑、西丸・紅葉山の地域は今の皇居宮殿の区域に当たります。地形は当時も現在もほとんど変わっていません。地名や建物も当時のものが随所に残っていることが分かります。

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江戸御城之絵図(作図年代不明)

2. 江戸城御本丸御表御中奥御大奥総絵図

 本丸御殿は江戸幕府の政務が行われた場所であり、将軍が日常生活を送った場所でもある、江戸城の中枢です。図のオレンジの部分が表と中奥、ピンクの部分の辺りが大奥です。図の左から右まで、つまり本丸御殿の南北*は約500mであったといわれています。この図は明暦の大火(1657)で焼失した後に建てられた江戸城の本丸全体を描いた平面図で、明暦の大火前まであった天守閣はなく、天守台だけが描かれています。

 また、この本丸御殿も、万延元年(1860)の再建直後の文久3年(1863)、またもや焼失してしまいます。もはや幕府にも再建する力はなく、その後は西丸を政庁として政務を行い、幕末を迎えることになります。

写真

江戸城御本丸御表御中奥御大奥総絵図(万治度)

3. 江戸御城御殿守正面之絵図

 江戸城に天守閣がそびえていたのは、徳川家康が慶長12 年(1607)に造営し、元和9 年(1623)に2代将軍徳川秀忠が、寛永15 年(1638)に3代将軍徳川家光がそれぞれ再建してから、明暦3 年(1657)の大火で焼け落ちるまでの僅か51 年だけでした。この図は明暦の大火で焼け落ちた後、正徳年間頃(1711-16)、新井白石を中心に4度目の造営計画が持ち上がりましたが、再建されなかった天守閣の再建案の図といわれています。外観5層、内部は穴蔵を含めて6階で、石垣を除いた部分の建物の高さは約44.8m、日本の天守閣の中では最大規模のものでした。しかし実現には至らず、幕末を迎えることになります。

 「江戸城造営関係資料」は都立図書館ホームページの「TOKYO アーカイブ」で全て御覧になることができます。御活用ください。

写真

江戸御城御殿守正面之絵図(正徳度)

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江戸城跡
写真提供:千代田区教育委員会